パリオリンピックでの活躍も記憶に新しいバスケットボール選手の富永啓生(とみながけいせい)選手。
彼の華麗なプレースタイル、特に3ポイントシュートは多くのファンを魅了しています。
しかし、その背景にはどのような努力や道のりがあったのでしょうか。
また、彼のプライベート、例えば彼女との婚約や、バスケットボール選手である父の影響など、人柄にも注目が集まっています。
NBAサマーリーグでの挑戦、そしてBリーグのレバンガ北海道への加入といった今後のキャリアについても気になるところです。
#30 富永啓生選手 新規入団のお知らせ
このたび、レバンガ北海道は、富永啓生選手と2025-26シーズンの選手契約を締結しましたことをお知らせいたします。
新シーズン、富永選手への全“緑”応援をよろしくお願いいたします。
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— レバンガ北海道 (@levangakousiki) June 3, 2025
この記事を読むことで、以下の点について理解を深められます。
- 富永啓生選手の学生時代からプロに至るまでのキャリア
- 日本代表としての国際舞台での活躍
- 富永啓生選手ならではのプレースタイル
- プライベートにおける婚約や家族構成
バスケットボール選手、富永啓生の軌跡
- 高校時代からNCAAでの活躍
- 大学での挑戦と成長
- 日本代表としての活躍
- 唯一無二のプレースタイル
- プロ入りとNBA サマーリーグ
- レバンガ北海道への加入
高校時代からNCAAでの活躍
富永啓生選手は、幼少期からバスケットボールに親しみ、その才能を開花させてきました。
春日井市立岩成台中学校を経て、桜丘高等学校に進学されています。
高校3年時の2018年には、第71回全国高等学校バスケットボール選手権大会、いわゆるウインターカップに出場し、チームを準決勝まで導きました。
特に、福岡第一との準決勝では前半だけで31得点を記録するなど、その得点能力は群を抜いていました。
残念ながらチームは敗れましたが、翌日の3位決定戦では46得点を挙げるなど、驚異的な活躍を見せています。
このウインターカップでは、出場した全6試合で35得点以上を記録し、平均39.8得点という圧倒的な成績で大会得点王に輝きました。
この活躍が認められ、大会ベスト5にも選出されています。
高校卒業後の進路については、日本国内だけでなく海外留学も視野に入れていましたが、2018年8月のU18アジア選手権への出場がアメリカ留学への希望をより強くしたと言われています。
そして2019年1月にアメリカ留学の意向を表明され、最終的には2019年6月にNJCAA(全米短期大学体育協会)1部に所属するレンジャー・カレッジへの進学を決められました。
大学での挑戦と成長
富永啓生選手は、レンジャー・カレッジで2シーズンを過ごし、高い3ポイント成功率と得点力を記録しました。
特に2020-21シーズンには平均16.3得点を挙げ、NJCAAディビジョンIオールアメリカンセカンドチームに選出されています。
その後、2021-22シーズンからNCAA1部のネブラスカ大学へ編入。
最初のシーズンは控えとして平均5.7得点でしたが、翌2022-23シーズンには出場機会が増え、キャリアハイの30得点を含む5試合連続20得点以上を記録するなど、平均13.1得点と大きく成績を伸ばしました。
この活躍は大きな話題を呼び、2023年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明したものの、最終的に取り下げて大学に戻ることを選択しました。
そして2023-24シーズンにはネブラスカ大学のエースとして活躍し、全米1位のパデュー大学戦で19得点、イリノイ大学戦でキャリアハイの31得点を記録しました。
レギュラーシーズンをカンファレンス3位で終え、2024年4月にはNCAAの3ポイントコンテストで優勝を飾っています。
この功績が認められ、ネブラスカ州の親善大使および最高栄誉称号であるネブラスカ提督にも任命されました。
日本代表としての活躍
富永啓生選手は、アンダーカテゴリーの日本代表時代からその才能を高く評価されてきました。高校2年時の2017年7月にはU-16日本代表の強化合宿に招集され、当時のトーステン・ロイブルHCからは「ダイヤモンドを発見した」と絶賛されています。
高校3年時の2018年8月にはバスケットボールアジアU-18選手権の日本代表に選出され、国際舞台での経験を積んでます。
そして、2022年7月にはトム・ホーバスHC指揮下のA代表に選出され、FIBAワールドカップ・アジア予選Window3のオーストラリア戦で記念すべきA代表デビューを果たしました。
この試合ではチーム最多の18得点を記録し、その存在感を示しています。同月のFIBAアジアカップでは、準々決勝のオーストラリア戦で両チーム最多となる33得点を記録するなど、重要な局面での得点能力の高さが際立っています。
特に印象深いのは、2023年9月のFIBAワールドカップ本戦での活躍です。
この大会でも日本代表に選ばれ、カーボベルデ戦では3ポイント成功率75%という驚異的な数字を記録し、「プレーヤー・オブ・ザ・ゲーム」に選出されるなど、日本のパリオリンピック出場権獲得に大きく貢献しました。
そして、2025年8月5日から始まる「FIBAアジアカップ2025」(サウジアラビア)の日本代表登録メンバーにも選出されています。
唯一無二のプレースタイル
富永啓生選手のプレースタイルは、特に3ポイントシュートの精度と積極性が際立っています。
彼はシューティングガードを主なポジションとし、左手から放たれる高精度なシュートは、しばしば「和製ステフィン・カリー」と称されるほどです。
彼のシュートは、トランジションからの速攻や、3ポイントラインのはるか後方からのシュートなど、そのレンジの広さが特徴です。
ボールを持ったら迷わずシュートを狙う積極性があり、相手チームにとっては常に脅威となります。
シュートが不調な時でも果敢に打ち続けるメンタルの強さも彼の大きな武器の一つと言えるでしょう。
プロ入りとNBA サマーリーグ
富永啓生選手は、2024年のNBAドラフト前にはサクラメント・キングスやロサンゼルス・クリッパーズとワークアウトを行いましたが、ドラフトでは指名されませんでした。
しかし、その後2024年9月26日にはインディアナ・ペイサーズとのエグジビット10契約に合意し、NBAへの道を模索しますが、残念ながら翌日には解雇されています。
このため、2024年10月27日にはNBAGリーグのインディアナ・マッドアンツへ加入し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。
Gリーグでのプロ1年目となる昨シーズンは、マッドアンツでプレーされました。
レギュラーシーズンでは3ポイントシュートで高い成功率をマークしましたが、出場は34試合中14試合にとどまり、1試合平均8分余りの出場時間で平均5.4得点という成績でした。
そして、2025年7月には「NBA 2K26 SUMMER LEAGUE 2025」にインディアナ・ペイサーズから招待を受け、出場しています。
サマーリーグに向けて、富永選手は日本での練習に時間を費やし
実家のある名古屋にはほとんど戻らず、2カ月ほど東京で河村勇輝選手とともにワークアウトをしていたと話しています。
ペイサーズの一員として参加したサマーリーグでは、NBAでプレーする難しさと、自身の課題を実感したようです。
プレータイムが限られる中で、いかに自分らしさを出すか、チームプレーとのバランスを取るかといった部分に言及しています。
しかし、同時に「全然不可能じゃない場所には来ている」と語るなど、NBAへの夢は変わっていません。
ここから、Bリーグでさらなる成長を遂げ、再び大舞台に戻ってきたいと意欲を示しています。
レバンガ北海道への加入
2025年6月3日、富永啓生選手がBリーグのレバンガ北海道に移籍することが発表されました。
背番号は、昨年のパリオリンピック日本代表と同じ「30」です。
富永選手がBリーグを選んだ理由として、「自分の最終目標はNBAの選手となること。レベルが上がっているBリーグに進むことがその近道だと思う」と話しています。
また、北海道への入団の決め手としては、14季ぶりに復帰するトーステン・ロイブル監督の存在を挙げ、「U18時代に指導してもらい、渡米を後押ししてくれた恩師。
互いに信頼関係を持っており、一緒にできることを楽しみにしている」と語っています。
富永啓生のパーソナルな魅力
- 父から受け継いだバスケの才能
- 彼女との婚約発表
- コート外の素顔
- ファンを魅了する富永啓生
父から受け継いだバスケの才能
富永啓生選手のバスケットボールへの情熱と才能は、実父である富永啓之氏から受け継がれた部分も大きいと言えます。
富永啓之氏は、身長211cm、体重105kgという日本人としては歴代上位に入る長身を持つ元プロバスケットボール選手です。
現役時代のポジションはセンターで、三菱電機でプレーし
全日本代表のメンバーとしても1998年世界選手権に出場されています。
2006年に現役を引退されましたが、その経験と知識は富永啓生選手に大きな影響を与えていると考えられます。
彼女との婚約発表
富永啓生選手は、2024年4月15日に自身のインスタグラムを更新し、交際中の外国人女性ハンナさんと婚約したことを発表されました。
満開の桜をバックにしたツーショット写真を公開し、「この度お付き合いしていた方と婚約をすることになりました。これからも2人で支え合い楽しい日々を過ごしていきたいと思います!応援のほどよろしくお願いします」と日本語でコメントしました。また、英文でも同様に喜びを表現されています。
富永選手とハンナさんの出会いは、富永選手が在籍していたネブラスカ大学です。
具体的な馴れ初めは明らかになっていませんが、富永選手がバスケの試合中に観客席にいたハンナさんに一目惚れをしたという噂もあります。
そこから猛アタックし、交際に至ったとされています。
ハンナさんの存在は、富永選手の英語力向上にも大きく貢献したと言われています。
渡米前は英語に不安があった富永選手ですが、ハンナさんと交際を始めてからは、英語での会話機会が増え、英語力が飛躍的に上達したとのことです。
彼女と話したいという気持ちが、学習の大きなモチベーションになったのかもしれません。
ハンナ・フィッツパトリックさんのプロフィールは以下の通りです。
項目 | 内容 |
生年月日 | 2000年12月31日 |
年齢 | 23歳 |
国籍 | アメリカ |
出身地 | ネブラスカ州ノースプラット |
家族構成 | 両親、姉、弟の5人家族 |
出身校 | ノースプラット高校、ネブラスカ大学 |
趣味 | 水泳、詩、コーヒーを淹れること |
ハンナさんは富永選手の一つ年下です。
ネブラスカ大学では獣医学、獣医学予備家庭を専攻されており、大学卒業後は医学部に進学する予定だとMERITというサイトでコメントされています。
また、ハンナさんの父親は地元で耳鼻咽喉科を経営されているため、将来的には医者を目指すのかもしれません。
ハンナさんは自身のインスタグラムも開設されており、富永選手とのツーショット写真も多数掲載されています。
コート外の素顔
富永啓生選手は、コート上での圧倒的なパフォーマンスとは裏腹に、謙虚で努力家な一面も持っています。
前述の通り、アメリカ留学前は英語に不安があったものの、婚約者のハンナさんの助けも借りながら、今ではチームメイトと英語でスムーズに会話できるほどの語学力を身につけました。
これは、彼の目標達成への強い意志と、困難を乗り越える粘り強さを示していると言えるでしょう。
また、サマーリーグ参加前の河村勇輝選手との練習エピソードからも、彼のバスケットボールに対する真摯な姿勢がうかがえます。
実家のある名古屋にほとんど帰省せず、東京で練習に明け暮れていたという話は、自身の成長のために時間と労力を惜しまない彼の献身性を物語っています。
ファンを魅了する富永啓生
富永啓生選手は、その華やかなプレースタイルだけでなく、その人柄も多くのファンを魅了しています。
コート上での勝負強さや、ここぞという場面でシュートを決める勝負根性は、見る者を惹きつけます。
加えて、サマーリーグで馬場雄大選手とマッチアップした際に、自らチームにマッチアップを志願したエピソードは、彼の負けず嫌いな性格と、バスケットボールを心から楽しむ姿勢を示しています。
日本代表の先輩である馬場選手との対戦を心から楽しんでいた様子は、ファンにとっても非常に印象的だったはずです。
これからの富永啓生選手に期待
- 富永啓生選手は愛知県名古屋市守山区出身のプロバスケットボール選手
- ポジションはシューティングガード
- 実父は元バスケットボール選手の富永啓之氏
- 高校時代は桜丘高等学校で活躍し、ウインターカップで得点王に輝いた
- アメリカのレンジャー・カレッジ、ネブラスカ大学でカレッジバスケットボールを経験
- 3ポイントシュートを得意とし、「和製ステフィン・カリー」と称される
- 日本代表としてFIBAワールドカップやFIBAアジアカップで活躍し、パリオリンピック出場に貢献
- 2024年のNBAドラフトでは指名されず、NBAGリーグのインディアナ・マッドアンツに加入した
- 2025年7月にはNBAサマーリーグに出場し、今後のNBA挑戦への意欲を示した
- 2025年6月3日にBリーグのレバンガ北海道への移籍が発表された
- レバンガ北海道ではクラブ初のチャンピオンシップ出場とBリーグ初制覇に貢献することを目標としている
- 2024年4月には自身のインスタグラムで外国人女性のハンナさんとの婚約を発表した
- ハンナさんはネブラスカ大学で出会い、富永選手の英語力向上にも貢献した
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