Bリーグで活躍する岸本隆一選手について、その高いパフォーマンスだけでなく、プライベートな側面やこれまでの道のりを知りたいと考えるファンも多いのではないでしょうか。
特に、岸本隆一選手の年俸や奥様、日本代表としての活躍、さらには髪型を手掛けるお兄様の美容室について、そして彼が経験した病気や怪我といった困難に立ち向かう姿勢まで、多岐にわたる情報が求められています。
彼の高校時代からの経歴を紐解くことで、岸本隆一選手がどのようにして現在の地位を築き上げてきたのか、その全貌が見えてくるでしょう。
#14 岸本隆一選手 契約(継続)のお知らせ
#14 岸本隆一選手との2025-26シーズンの選手契約(継続)をお知らせします。選手コメントは公式サイトをご覧ください。
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— 琉球ゴールデンキングス公式 (@RyukyuKings) June 12, 2025
この記事を読むことで、以下のポイントについて理解を深められます。
- 岸本隆一選手のキャリアと驚異的な年俸推移
- 彼のプライベート、家族構成、そして支えとなる奥様について
- 数々の困難を乗り越えた病気や怪我の経験
- プレースタイルの特徴と日本代表での役割
岸本隆一選手のプロフィールと活躍
- 岸本隆一の経歴とプロ入り
- 岸本隆一の高校での実績
- 岸本隆一のプレースタイル分析
- 岸本隆一の年俸推移と最高額
- 岸本隆一が愛用するバッシュ
岸本隆一の経歴とプロ入り
岸本隆一選手は、小学3年生の頃からバスケットボールを始めました。
これは11歳年上のお兄様の影響が大きく、自宅の庭にゴールがあったため、幼い頃から自然とボールに触れる機会があったそうです。
中学校2年生の時には、自身初めての全国大会であるジュニアオールスターに出場し、そこで全国レベルの選手と対戦した経験が、その後のバスケットボールへの取り組み方を大きく変えるきっかけとなりました。
沖縄の「井の中の蛙」だったと当時を振り返っていますが、この経験が彼を高みへと導いたことは間違いありません。
高校卒業後、大東文化大学に進学し、ここでも1年生から主力として活躍しました。
大学2年時にはチームを2部優勝と1部昇格に導き、4年次にはインカレで7位入賞を果たすなど、その才能を遺憾なく発揮しています。
大学4年次には李相伯杯の日本代表にも選ばれるなど、着実にステップアップしていきました。
プロとしてのキャリアは、2013年1月にbjリーグの新人選手契約制度を通じて琉球ゴールデンキングスに入団したことからスタートします。
クラブからは「超新星」と称され、入団初シーズンから主力選手としてレギュラーシーズン47試合に出場し、新人賞を受賞しました。
さらに、2013-14ファイナルでは34得点を挙げ、プレイオフMVPに選出されるなど、ルーキーイヤーからその実力を存分に示しています。
入団4年目となる2015-16シーズンにはチームキャプテンに就任し、bjリーグの日本人選手による1試合最多得点タイ記録となる41点をマークしました。
彼がチームを牽引し、bjリーグ最後の年に王座奪還に貢献したことは、その後の彼のキャリアにおける大きな転換点となりました。
岸本隆一の高校での実績
岸本隆一選手は沖縄県立北中城高等学校出身であり、高校時代からその得点能力の高さで注目を集めました。
特に印象的なのは、県大会で1試合83得点という自己最多記録を達成したことです。
これは彼の卓越したシュート力と得点への強い意欲を示すものと言えるでしょう。
また、高校3年時に出場した2008年のインターハイでは、1回戦で船橋市立船橋高校と対戦し、トリプルオーバータイムにもつれ込む激戦の末、122-121で勝利を収めました。
この試合で岸本選手はスリーポイントシュート7本を含む48得点を挙げるなど、全国の舞台でも大きなインパクトを残しています。
高校時代のこれらの経験は、彼がプロ選手として活躍するための基礎を築き、その後のキャリアに多大な影響を与えました。
当時の恩師やチームメイトとの絆も、彼の成長を支えた要素だと考えられます。
岸本隆一のプレースタイル分析
岸本隆一選手のプレースタイルは、一言で表現するならば「ステップバックスリー」の達人と言えるでしょう。
チームの司令塔であるポイントガードやシューティングガードのポジションを務めながら、日本人選手による1試合最多得点タイ記録を達成するほどの高い得点力を備えています。
その得点力の源となっているのが、リーグトップクラスの精度を誇るスリーポイントシュートです。
特に、シュートを打つ直前にバックステップを踏み、相手ディフェンダーとの距離を効果的に空けて放つ「ステップバックスリー」は芸術的と評されています。
一方で、彼のプレーは単なる得点能力に留まりません。
チームの司令塔としてアシストも巧みであり、コート全体を見渡す状況判断力に優れています。
また、176cmとバスケットボール選手としては決して大柄ではない体格でありながら、自分からドリブルで積極的に中に切り込むことも得意としています。
加えて、泥臭く我慢強いプレースタイルも彼の特徴の一つです。
得点だけでなく、ディフェンスやルーズボールにも積極的に絡み、チームのために献身的にプレーします。
岸本選手は、素早く動くこと以上に正確に「止まること」をプレーにおいて重要視しています。
スピードのある選手ほど、急停止時の足への負担は大きくなるため、シューズのグリップ性能がプレーに大きく影響すると語っています。
これらの要素が組み合わさることで、岸本選手は万能型の選手として、琉球ゴールデンキングスのオフェンスを組み立てる上で不可欠な存在となっています。
岸本隆一の年俸推移と最高額
Bリーグでは選手の年俸は公表されていませんが、岸本隆一選手の貢献度や実績から推定すると、その年俸は高額であることが予想されます。
彼の推定年俸は、キャリアを通じて着実に上昇しています。
具体的には、プロ入り当初の2013-14シーズンには2000万円と推定されていました。
これは新人選手ながら主力として活躍し、新人賞やプレイオフMVPを獲得した実績を考慮すると、平均を上回る金額と言えます。
その後、2015-16シーズンには3000万円、2016-17シーズンには3500万円と順調に増額されています。
2017-18シーズンから2018-19シーズンにかけては4000万円に達し、2020-21シーズンには4500万円と推定されています。
そして、2021-22シーズンから2023-24シーズンにかけては、5000万円から5500万円という高額な年俸に到達したと考えられています。
特に、2022-23シーズンに琉球ゴールデンキングスがBリーグで悲願の初優勝を達成したことは、彼の年俸に大きく影響しているでしょう。
日本人バスケットボール選手のトップ選手と比較しても遜色ない水準にあり、琉球ゴールデンキングスにおける彼の貢献度や、Bリーグ60試合にほぼ出場する鉄人ぶり、さらにはチームキャプテンを務めた経験などを考慮すると、現在の年俸は妥当、あるいはそれ以上であってもおかしくないと推測されています。
岸本隆一が愛用するバッシュ
岸本隆一選手は、バスケットボール選手にとってパフォーマンスを支える上で最も重要なアイテムの一つであるバスケットボールシューズ、通称「バッシュ」に強いこだわりを持っています。
彼は長年にわたりアンダーアーマーのシューズを愛用していることでも知られています。
初めてバッシュを買ってもらったのは小学3年生の時で、当時は履きやすさよりもデザインのかっこよさを重視していたそうです。
しかし、高校生になってからは履き心地や機能性を重視するようになり、特にプレーのスピード感を失わないためにグリップ力を強く意識して選ぶようになりました。
琉球ゴールデンキングスに入団し、アンダーアーマーとの契約が始まった際、当時のアンダーアーマーのシューズの軽さとグリップ力の高さに感銘を受けたと語っています。
NBAで活躍するステフィン・カリーよりも先にアンダーアーマーのバッシュを愛用していたと自負するほど、このブランドへの愛着は深いようです。
岸本選手がバッシュ選びで最も重視するのは「止まること」です。
バスケットボールでは素早く動くこと以上に正確に止まることが重要であり、スピードがある選手ほど急停止時の足への負荷が大きくなるため、シューズのグリップ性能がプレーに大きく影響すると考えています。
また、履き心地については、最初は少し硬めのシューズを好み、履いていくうちに足に馴染んでくるのが理想だそうです。
靴紐も、履き始めはしっかり締めて、プレー中に馴染むのを感じながら調整します。
見た目にもこだわりがあり、重要な試合ではピンクなどの派手な色のシューズを好んで履き、コート上で目を引くようなセンスのある色使いを理想としています。
バッシュの買い替えについても独自のルールを持っており、学生時代は2~3ヶ月で履き替えていましたが、現在は年間で4足ほどをローテーションしながら使用しています。
練習と試合で分けることはせず、どんな場面でも同じシューズを履くことで、いざという時に違和感がないように心がけているのです。
さらに、ゲン担ぎのような習慣もあり、試合に勝ち続けている間は同じシューズを履き続け、負けた時には気持ちを切り替えるために履き替えることもあるといいます。
これらのことから、彼にとってバッシュは単なる道具ではなく、プレーを支え、モチベーションを高める重要な「心臓」のような存在であると言えるでしょう。
岸本隆一選手のプライベートと代表活動
- 岸本隆一を支える奥さんと家族
- 岸本隆一の髪型は兄の美容室で
- 岸本隆一が経験した病気と回復
- 岸本隆一が乗り越えた怪我
- 岸本隆一と日本代表での活躍
岸本隆一を支える奥さんと家族
岸本隆一選手は2017年6月19日にSNSを通じて結婚を発表しました。
奥様の名前は公表されておらず一般女性ですが、結婚報告では指輪の写真を公開するなど、素敵な一面を見せています。
お子様は2人おり、2017年生まれの長女「潤美(うるみ)」ちゃんと、2019年生まれの長男「誠隆(せいりゅう)」君という2歳差の兄妹です。
SNSでは家族で楽しんでいるプライベート写真も公開されており、微笑ましい家族の様子がうかがえます。
オフシーズンには、家族との時間が増え、さらに絆を深めていることでしょう。
奥様は沖縄県出身で、岸本選手自身も沖縄県生まれ、沖縄県育ちです。
プロ入団以来一度も移籍したことがないことから、琉球ゴールデンキングスへの強い愛情と、ファンへの想いを家族全員で共有していることが伺えます。
試合で着用するバッシュの色を奥様に選んでもらうなど、ゲン担ぎのような側面もあり、奥様からの温かいサポートが彼の安定したプレーに繋がっていると言えるでしょう。
岸本隆一の髪型は兄の美容室で
岸本隆一選手の洗練された髪型は、彼のお兄様が担当していることで知られています。
実は、彼には11歳年上のお兄様がいて、その職業は美容師なのです。
そのため、岸本選手は毎回お兄様に散髪してもらっていると語っています。
2013年にはお兄様とのツーショット写真が公開されており、顔の輪郭以外はよく似ていると評判です。
年が離れているにもかかわらず、とても仲が良いことが伝わってきます。岸本選手がバスケットボールを始めるきっかけも、お兄様の影響だったそうです。
お兄様の美容室がどこにあるのかは公表されていませんが、岸本選手の出身地が沖縄県名護市であることや、Twitterでのつぶやき、そして彼が頻繁に散髪をしていることを考慮すると、名護市内の美容室である可能性が高いと考えられます。
岸本隆一が経験した病気と回復
岸本隆一選手は、指定難病である潰瘍性大腸炎という病気を経験しています。
2020年3月頃に体調不良を訴え、同年4月に潰瘍性大腸炎と診断されました。
この病気は、大腸の粘膜に炎症が起こるもので、下痢、血便、腹痛、発熱、慢性疲労などの症状を伴います。
診断を受けた当初は大きな絶望感があったと語っていますが、入院加療と薬物療法によって症状は改善し、現在は寛解状態を維持しています。
寛解とは、病気の症状が落ち着き、安定した状態のことです。
食生活や体調管理を徹底することで、彼は病気と向き合いながらプロとしてのプレーを続けています。
武田薬品とエームサービスが共催したトークイベント「IBDreamめし〜アスリート編〜」に登壇した際、岸本選手は「食べられなくなったものはありませんが、麻婆豆腐など刺激物や脂質の多いスイーツは日頃控えている」と語っています。
また、病気になったことをきっかけに、「今、気づきにくい幸せを感じていて、自分にとってコントロールが効かない病気になったきっかけに、何かポジティブになるマインドになるという事を言える所まできた」と心境の変化を明かしました。精神的にも不安定になることがあった中で、些細なことにも幸せを感じるようになったと話しています。
この病気は見た目には分かりにくく、患者さんがどのようなことで困っているのか周囲に伝わりにくい疾患とも言われています。
岸本選手は、IBD(炎症性腸疾患)について周囲の人々や社会に知ってほしいこととして、「寛解を維持していますが、症状の再燃中は、いつトイレに行きたくなるか分からないため、トイレが近くに無いととても不安になりました。精神的にも不安定になり、家族にストレスをかけることも多かったです」と語っています。
そして、お店などでトイレを快く貸していただけることや、「IBD大歓迎」といった目印があると患者さんにとって安心して暮らしやすい社会になると訴えています。
自身の経験を公表することで、同じ病気を抱える人々、特に子どもたちに希望を与えたいという強い思いを持っています。
岸本隆一が乗り越えた怪我
岸本隆一選手は、潰瘍性大腸炎という病気だけでなく、左第5中足骨骨折という怪我も経験しています。
2025年4月19日、試合中に左足の小指側の骨を骨折し、全治8~12週間の診断を受けました。
この怪我により、チャンピオンシップへの出場は絶望的とされました。
怪我の発表後、彼は4月22日に手術を受け、無事に終了しています。
手術後には「気持ちが行ったり来たり」しながらも、応援してくれるファンの思いを力に変え、前向きにリハビリに取り組んでいる様子が伝えられています。
過去には、2020年3月に指定難病の潰瘍性大腸炎が発覚し、体調を崩して60試合中37試合にしか出場できないシーズンもありました。
しかし、その後は治療と体調管理により回復し、翌シーズンには56試合に出場するなど、困難を乗り越えてきました。
今回の骨折についても、彼のこれまでの回復力や精神力を考えると、再びコートに戻り活躍することが期待されています。
琉球ゴールデンキングスの主力選手として、彼の復帰はチームにとっても大きな力となるでしょう。
岸本隆一と日本代表での活躍
岸本隆一選手は、プロバスケットボール選手として日本代表に選出された経験も持っています。
彼の日本代表としての活動は、国内外の大会で日本のバスケットボール界に貢献してきました。
具体的には、2016年7月11日に行われた第38回男子ウィリアム・ジョーンズカップに出場しました。
この時の日本代表での背番号は41番でした。
また、同年12月には日本代表候補重点強化選手に選出されるなど、その実力が認められています。
さらに、2021年11月にはFIBAバスケットボールワールドカップ2023アジア地区予選の日本代表候補に選ばれ、同年11月28日の中国戦に出場しました。
強化合宿中の取材では、「あまり代表には縁がなかったタイプなんですけど、今回こうして選んでいただいて、本当にうれしく思っていますし、身の引き締まる思いです」とコメントしており、代表への強い意欲と責任感を示しています。
2022年には、8月14日に仙台で行われたイラン代表との国際強化試合にも出場しています。
彼の所属する琉球ゴールデンキングスで示してきた高いシュート力や勝負強さは、日本代表においても重要な武器となり得るものです。
同じポジションには富樫勇樹選手をはじめ、多くの有望な選手がいる中で、日本代表に選出されることは、彼の確かな実力と実績の証と言えるでしょう。
まとめ:バスケ選手・岸本隆一の魅力
- 岸本隆一選手は沖縄県出身のプロバスケットボール選手である
- 琉球ゴールデンキングスの中心選手として活躍している
- ポジションはポイントガードとシューティングガードである
- 高校時代から得点能力の高い選手として注目されていた
- 大学時代にはインカレで得点王とスリーポイント王を獲得した
- 2013年に琉球ゴールデンキングスに入団し新人賞を受賞した
- プレイオフMVPにも選出されるなど即戦力として貢献した
- チームキャプテンも務めリーダーシップを発揮した
- 1試合最多得点タイ記録を樹立するほどの得点力を持つ
- 推定最高年俸は5500万円に達するとされている
- 日本代表にも選出され国際試合を経験した
- 潰瘍性大腸炎という指定難病を克服し現役でプレーしている
- 左足の骨折という怪我も経験しリハビリを続けている
- 奥様と2人のお子様がいる家族思いの選手である
- 兄が美容師であり、髪型はお兄様が担当している
- アンダーアーマーのバッシュを長年愛用している
- 特に「ステップバックスリー」を得意としている
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