プロバスケットボール選手の川真田紘也(かわまたこうや)選手について、中学高校時代からの経歴や、日本代表としての活躍、そして現在の所属チームである長崎ヴェルカへの移籍の背景など、多角的にご紹介します。
また、彼の身長や、一部で囁かれるハーフの噂についても深掘りしていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
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この記事を読むことで、以下の点について理解を深められます。
- 川真田紘也選手のバスケとの出会いと学生時代
- プロとしてのキャリアと日本代表での活躍
- 長崎ヴェルカでの挑戦と現在の姿
- ハーフの噂やニックネームなどパーソナルな情報
プロバスケットボール選手・川真田紘也の軌跡
- 川真田紘也選手とバスケットボールの出会い:中学高校時代
- 驚異の身長204cmを活かしたプレースタイル
- 大学からプロリーグへの移籍と成長
- 滋賀レイクスから長崎ヴェルカへの移籍
- 日本代表としての躍進と貢献
川真田紘也選手とバスケットボールの出会い:中学高校時代
川真田紘也選手は、徳島県徳島市出身のバスケットボール選手です。
バスケットボールを始めたのは、中学に入学したタイミングでした。
小学生の頃は陸上競技の走り高跳びを専門とし、徳島県内で上位に入る実力を持っていたそうです。
中学でも陸上を続けるつもりだったそうですが、陸上部に専門の顧問がいないという噂を聞き、友人に誘われてバスケットボール部に入部しました。
しかし、入部後に陸上部に専門の顧問がいることが明らかになったという、少しユニークなエピソードがあります。
この偶然が、川真田選手のバスケットボール人生の始まりとなりました。
徳島市立徳島中学校でのバスケットボール部時代、入学時に170cmだった身長は、卒業する頃には187cmにまで伸びました。
当時のバスケットボール部は強豪ではありませんでしたが、川真田選手が3年生の時には徳島県でベスト4の成績を残しています。
高校は徳島県立城南高等学校に進学しました。
城南高校のバスケ部では「走る」ことを重視する指導が行われ、川真田選手は走ることが苦手だったため、距離をごまかしながら練習をこなしていたようです。
部員が少なく、練習環境も恵まれていない中で、高校2年生の時には試合開始30秒で監督に怒られ、外周10周を命じられた「30秒事件」というエピソードも残っています。
高校卒業まででバスケットボールを辞めようと考えていた川真田選手ですが、高校3年生のインターハイ予選で徳島県ベスト4の好成績を収め、当時195cmだった身長と活躍が天理大学の監督の目に留まり、大学でのバスケットボール継続を決意しました。
驚異の身長204cmを活かしたプレースタイル
川真田紘也選手は、身長204cm、体重110kgという恵まれた体格を持つセンターポジションの選手です。
彼のプレースタイルは、この長身とフィジカルの強さを最大限に活かした粘り強くアグレッシブなプレーが特徴です。
特に、リバウンドやダンクシュートを得意としており、ゴール下での存在感は非常に大きいと言えます。
漫画『スラムダンク』の桜木花道と比較されることも多く、その理由の一つには、泥臭く、体を張ったプレーでチームに貢献する姿勢が挙げられます。
また、桜木花道と同様に、アウトサイドシュートなどのスキルはまだ発展途上である点も、共通点として挙げられることがあります。
プロの舞台では、対戦相手の多くが外国籍選手であり、彼らとのフィジカルコンタクトは避けられません。
川真田選手は、その激しい当たり合いにも臆することなく、自身の役割を全うしようと日々奮闘しています。
大学からプロリーグへの移籍と成長
川真田紘也選手は2017年4月に奈良県にある天理大学に入学し、西日本有数のバスケットボール強豪校でプレーを始めました。
大学入学当初は、将来プロバスケットボール選手になることは考えておらず、体育教員を目指していたそうです。
そのため、ハイレベルな練習や、同じポジションに外国人選手がいる厳しい競争環境の中で、モチベーションを保つことに苦労した時期もありました。
また、「緊張しい」な性格で、試合本番で本来の実力を出し切れないという悩みも抱えていました。
しかし、大学3年生になると徐々に試合に出る機会が増え、この頃には身長が202cmに達していました。
そして、大学4年生に進級した2020年、新型コロナウイルス感染症の拡大による活動休止期間が、川真田選手にとって大きな転機となります。
この期間に自身の将来について真剣に考え、「やはりもっとバスケがしたい、しかももっと上のレベルでやりたい」という強い思いから、プロを目指すことを決意しました。
この気持ちの変化が、彼のプレーにも良い影響を与え、インカレ2回戦の東海大学戦では、敗れはしたものの個人で23得点13リバウンドという素晴らしい結果を残しました。
この活躍が認められ、大学4年生のオフシーズンにはBリーグの佐賀バルーナーズと特別指定選手契約を結び、プロの舞台に足を踏み入れます。
2021年1月2日のアースフレンズ東京Z戦でプロデビューを果たし、途中出場ながら豪快なダンクシュートでプロ初得点を記録しました。
滋賀レイクスから長崎ヴェルカへの移籍
大学を卒業した川真田紘也選手は、特別指定選手として所属していた佐賀バルーナーズではなく、滋賀県を本拠地とする滋賀レイクスターズ(現滋賀レイクス)とプロ契約を結びました。
佐賀バルーナーズがB2リーグのチームであったのに対し、滋賀レイクスはB1リーグのチームであり、川真田選手はより高いレベルでの挑戦を選んだことになります。
滋賀レイクスでの初シーズンから順調に結果を残し、2023年1月13日に行われたオールスターゲームにも選出されました。
そして、同年2月26日にはワールドカップアジア予選で日本代表デビューを果たし、代表初得点も決めています。
2024-25シーズンからは、長崎ヴェルカへの移籍を決断しました。
滋賀には3年間在籍し、慣れ親しんだ環境でしたが、自身の成長のためには新たな挑戦が必要だと考えたからです。
長崎ヴェルカは勢いのあるチームであり、新しいアリーナの建設も控えていることから、直感的に「一番面白そう」だと感じたことが移籍の決め手になったと語っています。
長崎ヴェルカでの最初のシーズンは、川真田選手にとって決して順風満帆ではありませんでした。
前所属チームに比べてプレータイムが短くなり、「なぜ試合に出られないのだろう」と悩む時期もありました。
しかし、この経験を通じて、自身のプレーがコーチの求めるレベルに達していないことを痛感し、一つひとつのプレーをより細かく、深く理解する必要があると認識しました。
ヘッドコーチとの対話を重ね、自身の課題と向き合うことで、シーズン後半には出場機会を増やすことができました。
この苦しい時期を乗り越えたことで、選手として大きく成長できたと実感しているようです。
移籍という選択が、彼にとってさらなる成長の糧となったと言えるでしょう。
日本代表としての躍進と貢献
川真田紘也選手は、2022年に日本代表候補に選出されて以来、日本代表に欠かせない存在として活躍しています。
2023年のFIBAワールドカップでは、日本代表として出場し、そのフィジカルの強さと体を張ったプレーでチームに貢献しました。
また、2024年のパリオリンピックでは最終選考でロスター入りを逃したものの、リザーブ選手としてチームに帯同し、その存在感を示しています。
川真田選手は、トム・ホーバスヘッドコーチの下での代表活動が長く、チームのバスケットボールスタイルや監督の考え方を深く理解しているため、若い選手たちに教える役割も担っています。
一方で、海外でプレーする若手選手たちから新しい発想や考え方を学び、自身の成長にも繋げていると語っています。
代表メンバーはライバルであると同時に仲間でもあり、お互いに助け合いながら切磋琢磨する姿勢が、チーム全体のレベルアップに繋がっています。
川真田選手が日本代表で求められているのは、主にスクリーンやリバウンドといったセンターとしての泥臭い仕事です。
彼はそのプレーの質をさらに高めることに意欲的であり、自身のレベルアップと改善点として取り組んでいます。
27歳という年齢は、ベテランとして落ち着くにはまだ早いですが、ホーバスジャパンで培った豊富な経験が、彼に安心感とリーダーシップを与えていると言えるでしょう。
川真田紘也選手の素顔と魅力
川真田紘也選手 プロフィール
項目 | 詳細 |
---|---|
氏名 | 川真田 紘也(かわまた こうや) |
ニックネーム | マイキー |
生年月日 | 1998年6月16日(27歳 ※2025年6月時点) |
出身地 | 徳島県徳島市 |
身長 | 204cm |
体重 | 110kg |
ポジション | センター(C) |
所属チーム | 長崎ヴェルカ |
利き手 | 右 |
足のサイズ | 32.0cm |
兄弟構成 | 姉がいる |
出身中学 | 徳島市立徳島中学校 |
出身高校 | 徳島県立城南高等学校 |
出身大学 | 天理大学 |
座右の銘 | 1日1歩 |
好きな食べ物 | 焼き肉 |
苦手な食べ物 | なす |
好きなアニメ | メジャー |
尊敬する人 | 両親 |
バッシュ | asics |
プレイスタイル | 長身を生かしたプレー |
川真田紘也選手はハーフではない?国籍の真相
川真田紘也選手には「ハーフではないか」という噂が一部で囁かれています。
しかし、彼の国籍は日本であり、徳島県出身であることは公表されています。
両親や親族に海外にルーツがあるという情報もないため、ハーフである可能性は低いと考えられます。
では、なぜこのような噂が広まったのでしょうか。
その理由としては、主に三つの点が挙げられます。
一つ目は、彼の顔立ちが「ハーフ顔」に見えるという印象です。
バスケットボール選手は体が大きい人が多いため、外国籍の選手と間違われやすいという背景もあるかもしれません。
二つ目は、彼のニックネーム「マイキー」が、外国人の名前を連想させることです。
そして三つ目は、トレードマークでもある派手な髪色です。
特に赤く染めた髪は、日本人にはあまり見られないファッションスタイルであるため、外国人ではないかと連想させる要因になった可能性があります。
これらの要素が複合的に作用し、一部でハーフ説が浮上したと考えられます。
リアル桜木花道と呼ばれる理由とその背景
川真田紘也選手が「リアル桜木花道」と呼ばれている理由は、主に彼のプレースタイルと髪色にあります。
プレースタイルにおいては、前述の通り、粘り強くアグレッシブなプレーで、フィジカルを活かしたリバウンドやダンクを得意とする点が、漫画『スラムダンク』の主人公である桜木花道と共通しています。
また、アウトサイドシュートが苦手という点も、桜木花道に似ていると言われる理由の一つです。
そしてもう一つは、髪色です。
2023年8月に行われたFIBAワールドカップに日本代表として出場する際、大会前に髪色を赤く染めたことで、桜木花道を連想させるとして大きな話題となりました。
さらに、当時の川真田選手は練習生として代表合宿に呼ばれながらも、自らの力で代表の座を掴み取ったというサクセスストーリーも、『スラムダンク』における桜木花道の成長過程と重なる部分があり、リアル桜木花道と呼ばれる所以となりました。
ニックネーム「マイキー」の意外な由来
川真田紘也選手のニックネーム「マイキー」は、ファンの間でも広く知られていますが、その由来には複数の説が存在します。
一つは、元々のニックネーム「マッティ」(「川真田(かわまた)」の「また」に由来)をチームメイトが「マイキー」と聞き間違えたことがきっかけで、当時流行していた漫画『東京卍リベンジャーズ』のキャラクターであるマイキーにちなんで広まったという説です。
一方で、B.LEAGUEの島田慎二チェアマンが、大学時代にアフロヘアだった川真田選手がマイケル・ジャクソンに似ていることから「マイキー」と呼ぶことを提案したという説も存在します。
島田チェアマン自身も大学時代に「マイキー」と呼ばれていた経験があり、親近感を抱いたとされています。
どちらの由来にせよ、彼の明るく親しみやすいキャラクターと相まって、「マイキー」というニックネームは広く浸透しています。
精神的な成長とチームへの貢献
川真田紘也選手は、大学時代に「緊張しい」という悩みを抱えていました。
試合前にナーバスになり、最初のプレーでその日の出来が決まってしまうほど、メンタル面がウィークポイントだったと語っています。
練習試合では活躍できても、公式戦では本来の力を出し切れないことも少なくありませんでした。
しかし、大学4年生の時に訪れたコロナ禍が、彼にとって大きな転機となります。
この期間に自身の将来と真剣に向き合い、プロバスケットボール選手を目指すことを決意したことで、精神的な変化が生まれました。
「やるしかない」と腹をくくり、自分の持ちうる力をすべてコートにぶつけようという意識を持つことで、これまでの体のこわばりが不思議とほどけていったそうです。
プロ入り後も、長崎ヴェルカへの移籍後のプレータイム減少という壁に直面しましたが、これを乗り越える過程でさらに精神的に成長していったと思います。
コーチングスタッフとの対話を通じて、自身のプレーに対する理解を深め、求められるレベルに到達するための努力を惜しみませんでした。
このような経験から、川真田選手は「この1年、試合にはあまり出られなかったけれど、成長はすごくできた」と実感しています。
彼はチームのムードメーカーであり、仲間を鼓舞する存在としても、チームに不可欠な役割を担っています。
オフシーズンの新たな挑戦とプライベート
川真田紘也選手は、シーズン終了後もすぐに体を動かしたくなるタイプで、オフシーズンも積極的にクラブハウスでトレーニングを続けています。
現在のワークアウトでは、自身の長所であるフィジカルやリバウンド能力をさらに伸ばしながらも、「新しいこと」に挑戦しているそうです。
具体的には、これまで中心としてきたゴール下でのプレーだけでなく、アウトサイドシュートなど、外回りのプレーにも手を広げています。
試合で使えるレベルになるまでには時間がかかるかもしれませんが、選手として進化し続けるために、新たな武器を習得しようとする意欲がうかがえます。
プライベートでは、自宅かクラブハウスで過ごすことが多く、家ではYouTubeをBGMのように流しているそうです。また、最近は新しいソファを探しているとのことで、革製ではないL字型や座面が広いタイプのソファを求めているようです。
まとめ:川真田紘也選手の今後の展望
- 川真田紘也選手は徳島県出身の日本のプロバスケットボール選手
- 中学時代に偶然バスケットボールを始める
- 高校時代は陸上部に入ろうとしたがバスケ部に入部
- 天理大学に進学し、プロを目指すことを決意
- 大学4年時に特別指定選手として佐賀バルーナーズに加入
- 滋賀レイクスターズを経て、2024-25シーズンから長崎ヴェルカに所属
- 身長204cmのセンターで、フィジカルを活かしたアグレッシブなプレースタイルが特徴
- 『スラムダンク』の桜木花道にプレースタイルや髪色(赤)が似ていると言われる
- ハーフではないかと噂されるが、両親ともに日本人で国籍は日本
- ニックネーム「マイキー」は、聞き間違いやマイケル・ジャクソンに似ていることから広まった
- 大学時代は「緊張しい」だったが、プロを目指す中で精神的に成長
- 日本代表に選出され、2023年FIBAワールドカップに出場
- 2024年パリオリンピックの日本代表リザーブとして帯同
- 長崎ヴェルカでのプレータイム減少を経験し、コーチとの対話を通じて成長
- オフシーズンにはアウトサイドシュートなど新たなプレーに挑戦中
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