最近思うのですが、
そして何かしら不都合やトラブルになると、
学校での発信・受信
それは子供の時から無意識にあったものだと思っていますが、
学校では先生と生徒がいます。
発信受信で例えると、教える先生が発信側、
本来、先生が教えた事をクラスみんなが理解するのが理想ですが
理解できなかった子は居残りで勉強したり、
高校だったら赤点を取ってしまうと進級すら出来なくなるリスクだ
つまり受信側の生徒は、
しかし発信側の先生は、まず責められる事はありません。
先生の質を求める進学校や、
「発信したもん勝ち」「理解出来なかった受信側が悪い」
といった構図に質全的になってるよ
社会人での受信・発信
そしてこの構図は、
私がブラックアパレル企業に勤めていた頃、「
後日「まだ冬物がないのか!ばか野郎!!」
上司からしたら「冬物の商品を注文しろ!」
これが指示なのかが分かりにくいし、確実に情報が少なすぎます。
もちろん上司の指示の仕方を指摘する人は誰もいないし、正しい行動をしたと上司は思っています。
受信側の私はキレられて、発信側の上司には何も非はないという何とも理不尽な状況。
本当は、上司に逆ギレでもして、ぎゃふんと言わせたい気持ちもありますが、上司に歯向った所でいい事は無いでしょう。(一時的に歯向った満足感を味わえるかもしれませんが、今後働きづらくなる可能性もある)
もちろん「すみませんでした!」
というか…発信側・
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